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疑惑のエコナ

 花王という洗剤メーカーが放ったエコナという食用油は,脂肪が付きにくいという触れ込みで市場に投入された,ベストセラーです。特保指定という役所のお墨付きまでついていれば,効能に半信半疑な人であっても,まさか危険な食べ物とは思わないでしょう。

 しかし,数年前,ヨーロッパで報告されたある報告が,エコナを地獄に落としました。

 私は電気屋であって化学屋ではありませんから詳しいことはわかりません。それゆえ無責任な話になるかもしれませんが,私の理解ではこうです。

 エコナを製造する過程で出る生成物の濃度が結構高く,悪いことにこの生成物には発がん性が指摘されている,というお話です。

 まあ,生成物を全部除去していたら純度100%になってしまうわけで,そんな非現実な話もないでしょうから,既知のやばそうな不純物だけ除去して出したら,後日別のやばいやつが見つかった,ってなもんでしょう。

 花王としても,そう易々と危険性を認めるわけにもいかないので,化学屋としての客観性とメーカーとしてのプライドにせめぎ合っている状態ではないかと思います。

 個人的には,安全安全といいつつ,その根拠は「実験方法が国際基準と違うから危険とされるデータは信用できない」といったような,危険というデータの否定が中心であるかのうような印象をもちました。そんなに安全というなら,自分達の客観的なデータで説得すればいいんじゃないかと思います。

 その上,来年2月に当該成分を減らした改良品を出す予定だとか,特保指定を自主的に取り下げたとか,ほんまに安全なんか?と思うような動きを見せています。

 どうも,この改良品を2月に出すというのがひっかかります。私たちの世界でも,密かに改良品を出す事はありますが,それでも改良前の製品が危険だったり欠陥を持っていることはありません。もっというと改良はコストダウンや生産性の向上,耐久性や外観の改良であって,その製品の性能を期待して買って下さった方を裏切るようなことはありません。でもエコナの場合,どうもその辺が不透明な気がしてならないのです。

 消費者はバカではありませんから,こういう話があると敏感に察知するものです。花王は返品に応じるようになりました。最初は電話をした人だけに返送先が伝えられたようですが,最近は電話無しでもホームページにある住所に送れば返品できるようです。

 実は私も,未開封のエコナクッキングオイルを1本持っていました。今使っている1本は自分で買ったもので,もうすぐなくなります。これは使い切るつもりです。

 未開封のものは,母がお歳暮かお中元で頂いたもので,たくさんあっても困るからと分けてもらったものです。

 正直,エコナはおいしい油ではありません。コーン油のような香ばしさとか,紅花油のさっぱり感とか,そういう感覚からは遠い油だと思いますが,そこは健康のためと割り切る現代人が多いという事でしょう。

 危険な可能性があり,メーカーも回収をしている,しかもいずれ改良品が出て特保指定を自ら取り下げるなどという話を聞かされてしまうと,わざわざ新品を開封して食べようという気が起きないのも無理からぬことで,かといって油ですから気軽に捨てる訳にもいきません。

 そこで,申し訳なかったのですが,別の荷物を持ってきてくれたクロネコヤマトのおっちゃんに,エコナを着払いで持っていってもらうことにしました。

 4日ほど経過し,花王から私に宅急便が届いていました。中身は1000円分の商品券です。送料に1000円ですからね,花王も大損害です。大丈夫なんやろか。

 それに,一般消費者もさることながら,OEMや業務用に出荷したエコナの対応も大変なはずで,関係者はもう寝る間もないくらいの状態ではないかと,お察しします。

 さらにびっくりしたのは,印刷された定型文に書き添える形で,手書きの謝罪文がかかれていたことです。安全性云々は別にして,心配をおかけしたという内容なわけですが,私としても心配なので返品したのですから,その誠意は十分に伝わって来ます。手書きの謝罪文というのは,想像以上のものがあります。

 改良品を頑張って出します,とあるので,思わず頑張ってくれと思ったのですが,この1000円分の商品券で改良強化新型エコナを買うことが,この誠意に対する私のお返事になると考えています。
 

さようならプジョー306,さようなら

 私の所有する自動車,プジョー306style(97年式,N3最終型)が,先日の土曜日に私の元を離れていきました。

 私が新車で買った最初の車で,私が初めて手に入れた外国車です。ついでにいうと私が最初に乗ったフランスの車でもあります。

 1997年と言えばインターネットが家庭に入り始めた時期でもあり,個人のホームページが少しずつ立ち上がっていた頃だと記憶していますが,当時よく見た306のページも,今ではほとんど見ることがなくなりました。

 そりゃそうです,306が世の中に登場したのは1993年で,日本では女の人の前髪がまだエビの触覚のようになっていた時代です。後期型のN5の販売が終了したのでさえ2001年ですので,そこからだってすでに8年が経過し,最初の車検で買い換えをするのが普通な日本の自動車事情において,未だに306を乗り続けている人はもう心中する覚悟の人だけといってもいいはず,です。

 私はN5が投入される1997年8月に,N3の国内在庫最後の3台を滑り込みで衝動買いした人でした。どうもN5のフロントマスクが好きにはなれなかったことと,ずっと昔から馴染みのあったPEUGEOTと306というロゴの切り抜き文字がの意匠がN5で随分変わってしまったことが気に入らなかったというのが大きな理由でした。

 プジョーも激動の自動車業界にあって,何年かごとに節目を迎えていますが,私にとっての憧れのプジョーは,つまるところN3が最後だったのだろうと思います。今でもN5とN3のどちらか,と言われれば迷わずN3を選ぶだろうと思います。

 まあ,N3にしてもN5にしてもそうですが,フロントがマクファーソンストラットとごく普通のもの,リアに至ってはトーションバーという旧世代のサスペンションは,実際に乗ってみると実にしなやかで,これがあのネコ足なのか!と思わせるものです。ボディ剛性も低くなく,ドアを閉める音やボンネットを締める音に,高音が響くことはありません。 運転の下手な私ですが,この車がボディ剛性とサスペンションの存在を意識するようになったきっかけになったなあとつくづく思います。

 がちっと切り立った端整なプレスラインはピニンファリーナとプジョーデザインチームの共同で引かれたものであり,個人的には306の柱となる線だと思います。ピニンファリーナがかかわらなくなったと言われる206以降のデザインとは,このプレスラインの主張がやや異なるように感じるのですが,これが1990年代初頭に登場したデザインかと思うくらい,少なくとも私の目には古くさいものは見えません。


 前置きが長くなりましたが,事の顛末はこうです。

 始まりは1週間前の日曜日の夜,滅多に話をしない父から電話がありました。こんなことをいうのも何ですが,父親というのは友達や同僚のような気安い存在ではなく,いわば会社の偉いさんのような存在ですから,父と話をするときと言うのは自分ではどうにもならないことを相談するときだけ,です。

 父が言うには,自分が乗っているイギリス製の高級乗用車(以前父は某ドイツの某最高級車メーカーの最上級クーペに乗っていたことがありました・・・)に故障が頻発,面倒臭いので手放すことにしたと,普段の足に使っている軽自動車が便利なので別に困るわけではないが,ゴルフバッグを積むときや,友人を乗せるときなど軽自動車ではまずい(しめしがつかん),かといって新しい車を用意するのはお金もかかってしまう,良く考えたら私がほとんど乗っていないプジョーを持ち続けていて,しかも結構負担に感じているという話を思い出し,そういうことなら自分が譲り受けようと考えたらしいのです。

 私は1997年に新車登録をしたプジョー306を,丸12年経過した現在において,走行距離がわずかに8300キロちょっとと,ほとんど走らせていません。別に特別に大事にしていたわけではなく,自動車がなくとも生活が成り立つ場所に住み,どんどん自動車を生活から外れた場所においてしまい,自動車を動かす事が億劫になってしまった結果です。

 ポルシェとかフェラーリとか,そういう資産価値のある自動車がほとんど走行しない状態であることは珍しくないそうですが,306のような車でこの走行距離は異例中の異例でしょう。

 おかげさまで2年に一度の車検を含み,トラブルらしいトラブルはほとんどありませんし,屋根のない駐車場に12年間おいていましたがカバーをずっとかけてあり,直射日光や砂埃を避けてきたことで,そんなに見た目も悪くないと思います。加えて私はタバコを吸いませんので,内装も綺麗です。

 経済的な理由も含めて維持できなくなったときには手放そう,でも維持できる環境にあるうちは乗るか乗らないかに関係なく持っていよう,そんな風に割り切ったのが5年ほど前でしょうか。ちょうど個人がそれぞれに自動車を持つ事が無駄に思えた時期でもあり,自動車としてプジョー306以上を望まない気持ちに変わりはなくとも,そもそも自動車を持つ事に疑問を感じて揺らいでいた時でした。

 ただ,今のプジョーは小型の207でも安全基準の関係で3ナンバー枠に拡大していて,私の好きな全長4000mm,全幅1700mm,重量1000kg程度のハッチバックという,以前なら珍しくも何ともなかったサイズが存在しません。また,1800ccのNAという普通のエンジンも,5速MTというこれまた普通のトランスミッションも,今や絶滅寸前です。

 プジョーには熱狂的なファンも多く,こうした今では珍しい自動車を持つ事には,それなりの理解があると感じます。中でもある意味でとてもお手頃なこの306という車は,今のプジョーにはない魅力がいっぱいで,10年経過すると誰にとっても無価値となる国産車に比べ,特定の人種には理解をしてもらえるのではないかと思います。

 私がへこたれて手放してしまうと,また306の個体数が減ってしまいます。

 それに手放してしまったら,もう二度と手に入れる事など絶対に出来ないでしょうし,さらにいうと200万円以下でプジョーはおろか1800ccクラスの普通の自動車が新車で買えることは実はそんなにありません。(といいつつ本日207の一番安い設定が189万円になりました・・・)

 遠のいているとはいえ,ごくたまに自動車を運転すれば,それはそれでとても楽しいことには変わりありませんから,例えば職を失うとか,引っ越しをするとか,修理代に100万円かかるとか,そういう事でもない限り,私が維持するのが責務のように感じていたのです。

 幸い経済的な負担には耐えることが出来る状況にありますが,楽器やカメラのような小さいものとは違い,気軽に捨てたり修理出来ません。保管場所には不動産契約が必要になるほど大げさであり,その潜在的な能力は時に人の命を奪うことさえもあります。外の雨風に晒された機械製品が10年以上も放置されれば,どこかがおかしくなるのが普通でしょう。

 持っていたいから持っていよう,というようなお手軽なものとは違い,持つ事にもそれ相応の責任と義務が発生するのが自動車です。ここから先,資産的な価値も消え失せた古い自動車に,いずれやってくる廃棄処分の負担の大きさを想像すると,気が重くなってしまいます。

 その負担から逃げると言うより,今の私の生活では,その負担に見合うだけの利便性を,自動車を所有することから得られないことに悩んでいたというのが正しい言い方で,社会的に見て私が自動車を所有するのは(個人の勝手ではあるけども),とても贅沢なことだという後ろめたさを感じていました。

 父は続けます。もし自動車がなくても困らない生活をしていて,なんらかの負担を感じているのであれば,自分が自動車を必要とするであろうあと数年間代わりに乗ろう,名義の変更もちゃんとして,保険から車検から維持費から全部自分が引き受けよう,悪い話ではないと思うんだけども・・・

 確かに破格のお話です。資産的価値のなくなった自動車を,元々全車種中最低グレードの,しかも12年落ちのプジョーのマニュアル車で,さらに左右の横っ腹がへっこんでいる不細工な車に乗ってやろう,しかも50年以上自分の生活の中心であり続けた自動車生活を締めくくる,最後の車にしようというのですから。

 急な話に戸惑い,即答できずにいると父はさらに,心残りというなら,他の人に売ったりあげたりすることはしないと約束するし,車検が切れてしまった後でも廃車せず,保管しておいてもいいだろう,そして気が済むまで持っていたらいい,と言います。

 そして最後に,恩着せがましい言い方をするつもりはないが,下駄代わりに乗り潰すつもりはないし,乗らないときでも毎日エンジンくらいはかけてやる,と。

 この,毎日エンジンをかける,で私の心は動きました。今の自分が出来ない事を,父は簡単にやってのけることができるのです。私がこの車を持つ事は,半ば意地になっていたところがありますが,それは果たして,車のためになっていたのかどうか。

 車検の次に車を動かすのが次の車検だなんて,非常識にも程があります。それでも2年経って,キーをひねれば何事もなかったようにエンジンは一発でかかります。アイドリングは軽快で,やっと起こしてもらえたよ,と言っているように聞こえます。

 私はすでに,ドライバーとしてはもとより,オーナーとしても失格でした。

 自動車は,言うまでもなくモビリティのための道具です。人や物を少ない労力で動かすことが存在の理由です。置物でもなければ,意地で持つようなものでもありません。いわば生き物です。毎日乗って,調子を見て,それで初めて愛着だってわくものです。私のような距離感で愛着などわこうはずはありません。もし愛着を感じたとしても,それは私がただ「惜しい」と思うだけの,さもしい根性に過ぎません。

 私は数日考える時間をもらい,電話を置きました。一緒にこの車と時間を過ごした親友に連絡し,車を手放すことを伝えると,彼女はいろいろ思い出してポロポロ涙をこぼしました。そしてお別れの時には写真を残そうと言いました。

 翌日,父に改めて電話をし,父の申し出にありがたく甘えることを伝えました。父のことですから,気が変わったとかどうしても欲しい人が現れたとか,そんな話で誰かに譲った,という話もあったりするかもしれませんし,実は父の手元に渡ってから急にあちこちが壊れてしまい,修理代に何十万円もかかるとわかり結局廃車にすると言う結末があるかもしれません。

 ただ,父は,私よりもはるかに運転がうまく,自動車に対する情熱を持っています。父の古い友人には腕のいいメカニックがいて,私もお世話になりましたが,とても心強い方です。

 それだけでなく,周りには自動車に関係のある人たちがたくさんいるので,ひとりぼっちだった306は急に賑やかになったことに驚くことでしょう。あと少しの間ですが,最後にそういう境遇に置いてあげられるのは,とてもよかった事なのかもしれません。
 
 話としては,土曜日の夕方に,私の住んでいる場所の近くにある,父の知り合いの輸入車の中古車販売会社の店員さんがわざわざ306を引き取りに来られ,そのお店が東京から大阪に運ぶ予定になっている他の車と一緒に,トレーラーで陸送されることになっています。

 先日の土曜日の夕方,もう薄暗くなっている状態でしたが,その前日から続いた雨もすっかり上がり,時折晴れ間も見せつつ,綺麗な夕焼けが暮れてしまう頃に,306は軽快なエンジン音を響かせて,私の元を離れていきました。本当にあっという間の出来事でした。

 私はこの時生まれて初めて,自分の買った車が他の人の運転で走る姿を眺めることが出来たわけですが,買ったときからお気に入りだったリアエンドの丸い感じが遠くに消えていくのを見て,もうこれでお別れなのかと,言葉にならない寂しさを感じました。

 一方で,これでもう心配することはない,そんなすっきりした感覚も否定できずにわき上がってしまい,複雑な思いも感じました。

 現実に戻って駐車場の解約,JAFの退会など手続きを済ませ,名義の変更が終わってから保険の手続きをすることにしています。

 こうして,私個人は自動車社会との直接の接点を失います。そもそも居心地の良くなかった自動車社会ですから,そこに未練はありません。しかし工業製品として,あるいは文化の1つとしての自動車と,決定的な別離は寂しい限りです。

 自動車は今,大きな転換点にいます。化石燃料を動力源にする仕組みはもう限界に達し,経済的合理性をトリガに,次世代の自動車が覇権を競っています。ハイブリッドは過渡的な車なのか,本命は本当にEVでいいのか,動力源以外にインテリジェント化はどこまで必要なのか,ドライビングプレジャーを我々は失わずに済むのだろうか,環境や経済性,安全性と次の100年も両立出来るのだろうか,不安は尽きません。

 馬車の代わりにヨーロッパで登場した自動車は,当時最先端技術であった機械工業をバネにして上流階級の高貴な趣味として育ち,自由の国アメリカに渡ってからは大量生産されて生活に不可欠な移動手段となりました。そして大衆化し多くのバリエーションが生まれ,その人の人となりを示す装飾品という役目をも担うようになった自動車は,命を持たない人類の唯一の友人,といっても良く,やっぱり特別な存在だなとつくづく思います。

 私が今でも大好きなプジョー306。この車が教えてくれたことはたくさんあります。急激に身近に感じた世界,文化,異国への想い,当事者として考えさせられた車と社会の関わり。1つ1つが得難い経験でした。次に大阪に戻ったときに,少し様子を見させてもらおうと思います。もう自分で運転することはしませんが。

IrisBrowserの終焉

 いろいろ出来る事はわかったし,環境構築にそれなりの時間もかけたアドエスですが,例えば帰省とか旅行とか出張には便利でも,普段の生活ではそれほど便利にならないことがわかってきました。

 やっぱり,安定性の問題と,通信速度だけではなく端末そのものの動きも緩慢であることから,結局Twitterマシンとしてしか使い道がないことがわかり,それなら別に携帯でもいいんじゃないのかと,まあ理由はいろいろ考えつくでしょうが,やはり自然と遠のいたことが私にとってのアドエスだった,ということでしょうか。

 自ずとメンテもサボりがちなのですが,久々に私にとっての標準WEBブラウザであるIrisBrowserをアップデートするかと公式サイトに行ってみると,なんと開発元のTorchMobileが,BlackBerryのRIMに買収されてしまったのですね。

 BlackBerryの会社がWindowsMobileのソフトを配布するはずもなく,現在ダウンロードも出来なくなっています。残念です・・・

 これで,ますます選択肢が狭まってしまいました。もうアドエスはダメかもなあ。

今年の花火2

 花火の続きです。

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 今年はちょっといつもと違っていて,毎年友人宅にて,友人と友人の妹さんと私の3人で見るようにしていたのですが,今年は妹さんは花火の時に出かけていてたぶん不在,それならと友人はうちで過ごす,という話になりました。

 ところが,花火が終わってから友人が妹さんと連絡を取ると,なんと妹さんは花火に間に合うように帰宅してくれていたというのです。妹さんには,友人がうちにくることが伝わっていなかったようで,かわいそうに一人で花火を見ることになってしまいました。

 この顛末を聞いて私は大変残念に思いました。自分がそういう状態になったら,どんなにがっかりするだろうかと。さらに妹さんは,友人と私にそれぞれ,出かけた先でプレゼントまでわざわざ買ってきてくれていたのです。

 これはもう,花火どころの話ではありません。妹さんと私は滅多に顔を合わせることがないので,妹さんは今回久々に会う機会をちゃんと考慮してくれていたんだと思います。本当に悪いことをしました。

 友人から聞いた,「べっ別に・・・」というツンデレ風味の妹さんからの伝言が,胸に刺さります。

 今度大阪に戻ったとき,妹さんだけに551の豚まんチルド4個入りを買ってこようと思います。

今年の花火1

 今年も多摩川の花火大会が,さる8月22日に行われました。

 世田谷区と川崎市の共催になったことは昨年と同様なのですが,世田谷側の打ち上げ場所にほど近い友人宅には今年は都合で行かず,友人をうちに招くことになりました。

 うちはもともと見やすい場所にあるわけではなく,花火は見えないのではないかと思って,花火の音を聞きながら焼き肉でもするか,と食材を買い込んでいたわけですが,始まってみると結構ちゃんと見る事ができました。

 高い位置から見るわけでもなく,さりとて低いところから見るにはちょっと遠いという中途半端な立地で,何の用意もせずにあわてて持ち出したデジカメの準備不足もあり,撮影した写真はなんとも心のこもっていない,つまらないものになってしまいました。

 が,せっかくですので10枚ほど上げておきます。

 今年ははじめてK10Dを使ってみました。レンズはFA35mmF2です。手持ちですので派手にぶれています。

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 次,なにやら動物の顔らしいのですが,さっぱりわかりません。

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アマデウスとブレードランナーを見る

 Blu-rayで映画を見ることがこれほど価値のあることなのか,と思いを改めた私ですが,まだまだソフトは割高というのが印象でした。しかし,かのamazonが特定のタイトルに限って半額というのをやっており,せっかくなので2タイトルほど買ってみることにしました。

 「アマデウス」と「ブレードランナー」です。

 どちらも映画史に残る金字塔です。

 詳しい物語の内容は割愛しますが,どちらもBlu-rayでなければ味わえないものがあります。とうとうパッケージメディアが映画の持つ表現力に追いついたのか,と思いました。

 アマデウスは,Blu-rayによって当時のヨーロッパの空気感を表現出来るようになったと感じましたし,優れた音楽も大変に臨場感豊かに再現されます。Blu-rayの良さは映像だけではなく,音声の品質も格段に上がっているのだと思い知ります。

 音と映像でぐいぐい引き込まれて,クライマックス,サリエリがベッドのモーツアルトと共同作業を進めるシーンは,まさに才能を持つ者同士が共に跳躍した瞬間。見ている者にぴりぴりとした緊張感と高揚感が伝わってきます。すばらしい。

 そしてモーツアルトは絶命します。漂う空気が一変します。彼を理解できる高い能力を持ち,彼を心から尊敬していながら,自らの唯一の支えを砕いた彼を許せず,破滅に追い込んだサリエリの末路もまた,破滅に近いものでした。退廃した空気が支配し,3時間という長編はようやく幕を下ろします。

 DVDでは物語をなぞるのが関の山だったアマデウスも,Blu-rayでは物語を味わうことが出来ます。今さらといわず,おすすめの一本です。


 次にブレードランナーですが,これは理系の教養として見ておかねばなりません。リドリー・スコットにシド・ミード,もうこれだけでおなかいっぱいです。

 陰鬱な未来のロサンゼルス。猥雑な街はいつも雨が降っています。雨が降ったシーンはDVDでは雨が降っているという事実を捉えるのが精一杯ですが,Blu-rayだと体が湿ってきそうな程の一体感を持つ事が出来ます。

 わずか4年で寿命を迎える人工物としてのレプリカント。感情を持つに至った「進化した」レプリカントは,苦悩します。生みの親であるタイレル博士を激烈な感情の中で手にかけ,やがてデッカードとの死闘の末,寿命により「機能停止」します。

 生きたいという感情の芽生えは,すでにそれが生命体であることを物語っています。これを単純な「物」として処理できるかどうか,なにより尊重される命と,動いているという事実だけを示す機能との間に,一体どこで線を引くべきなのかを否応なく問いかけると共に,私には単純なヒューマニズムを嘲笑しているかのように思われました。

 Wikipediaを見ると,デッカードがレプリカントだ,という話もあったりしますが,私はそんな謎解きはにはあまり関心がありません。デッカードが持つ記憶は他の誰かの記憶かも知れませんが,レプリカントと共存する未来においては,誰もが同じ疑いを自らに問いかけながら,生きているに違いないからです。

 様々なバージョンがあるブレードランナーですが,個人的にはこのBlu-ray版が決定版であり,これを見る事がすなわちブレードランナーを見る事になると思います。妥協のない緻密な映像,寒々とした空間を作る音楽,そして見終わった後の「うむー」と腕を組んで考えさせられる後味の悪さ。

 これぞ,パッケージメディアが映画本来の表現力に肉薄したことを証明する作品だと思います。この作品を見ると,以後の映画やマンガ,アニメにどれほどの影響を与えたかを思い知ることになるでしょう。

 PS3を持っている人は,安いうちに是非一本。

 私は,この2本,都合約5時間を立て続けに見ました。さすがに疲れてしまいましたが,DVDはテレビを見る感覚なのにBlu-rayはやっぱり映画を見る感覚です。疲れる種類の違いがあります。満足感を伴う心地よい疲れを味わうには,やはり時間あたりに浴びせられる情報量が重要だと感じました。

 映画は映画館でみるのがいい,昔の人はそう言いました。彼らはその理由を説明出来ずに,感情論でそういって引き下がりませんでした。実際の所,Blu-rayのフルHDでも,フィルムの情報量をすべて取り込めているわけではありません。映画館で大画面で見ることの価値は,Blu-rayがある今だからこそ,問われるようになるかも知れません。

Niftyを解約

 私は17年ほど前からNiftyの会員でした。随分長いように思いますが,私などまだまだ序の口で,黎明期からNiftyを育ててこられた方々には頭が下がります。

 Niftyに加入したのは,フリーソフトを手に入れたいという気持ちがあったのと,フォーラムをみたいと気持ちがあったからです。加えて電子メールが使え,当時ようやくインターネットへの接続が行われた時期でもあり,これは毎月の会費を払っても価値があると判断しました。

 思い起こせば,Niftyに加入するためにクレジットカードをこしらえましたし,就職の際にオシロスコープやMacintoshSE/30を売却したのも,Niftyの「売ります買います」でした。

 中央集権型のパソコン通信サービスが産声を上げたのは80年代で,一説では市内電話が無料ゆえアメリカで普及したと言われていました。

 日本でもNTTが電話回線を開放し,モデムを素人が取り付けられるようになると,富士通がNiftyServeを,NECがPC-VANを,工学社がTelStarをスタートさせましたが,高額な電話料金に高価なモデム代,その割に手に入る情報の少なさでなかなかメジャーになることはありませんでした。

 私は当時,パソコンは個人が自由に使いたいだけ使えるのがパソコンなのであって,銀行のインラインシステムのようにホストコンピュータに電話回線で繋ぐなんてまっぴらごめんだと思っていました。繋がった先の都合で速度や表現力,出来る事が制約されるなど,パソコンのあるべき姿とは違うと思っていたのです。

 今,パソコンはネットワークに繋がらないと価値をほとんど失います。逆の見方をすればパソコンはネットワークに参加すると,その価値を何倍にも増幅させるということになるのですが,今ほどパソコンがネットワークをのぞき込む「窓」になるなんて,当時は想像だにしませんでした。(結果論ですがWindowsとはよく言ったものです)

 当時NiftyServeと呼ばれたパソコン通信サービスは国内最大の無敵を誇り,ここにない情報は国内にはないのではないかと思うほど充実していました。確かに中央集権型の通信ではありますが,情報の発信者になることが出来る仕組みはとても珍しく,発信者が増えるほどそのネットワークの価値は上昇し,それがまたさらに人を集めるという循環を繰り返していきました。

 当時はそれでも安い市内電話で繋げられる大手はなく,市内電話で繋げられるローカルな小規模なパソコン通信サービスがあちこちに存在していました。「草の根ネット」と呼ばれたそれらホストサービスは多くが有志によって無償で行われ,地域ごとの特色を活かした,規模とは違う別の面白さを我々に見せてくれていました。

 今では信じられないことですが,電波新聞社からパソコン通信サービスを集めた電話帳が毎年売られていたのもこの時期です。

 やがてインターネットの時代が訪れ,中央集権型のパソコン通信は廃れていきます。大手もインターネットの接続を果たし,ホストにある情報はインターネットからもアクセスが可能となりました。

 インターネットへの参加に必要なIPアドレスを貸し出すインターネットサービスプロバイダが現れ,大手パソコン通信業者も,インターネットサービスプロバイダへの転身を図ることになったのが90年代中頃の話です。

 他社と同じく,Niftyもホストサービスを停止し,膨大な情報を持つフォーラムは,インターネット上に散っていきました。

 私は,Niftyはフォーラムがキラーコンテンツだと思っていましたから,これが消滅する段階で利用する理由が消えてしまいました。それでも月々210円でこれまで長く使ったメールアドレスが維持できるというので,プロバイダは別の所を使っていながらも,Nifyuに毎月210円支払っていたのです。

 しかし,考えてみると全く無駄です。メールアドレスは全く利用せず,Niftyあてに出す人も全くいません。Niftyの会員サービスに特に魅力的なものはなく,唯一公衆無線LANが利用できることくらいでしょうか。

 先日,Willcomのサービスを月々980円で受けることにしたことはここにも書きましたが,この月々980円のコストを少しでも軽くするために,Niftyの解約を思い立ちました。

 実は今のNiftyの最低料金は262円です。210円というのは移行措置で用意された金額であり,新規での加入は出来ません。本当にメールアドレスの維持費用という感じです。

 そういう点でも,何度もNiftyの解約を考えては断念することが多かったのですが,使用実績や今後どれくらい世話になるかを考え,4月30日付けで解約をすることにしました。

 WEBから解約の手続きが出来るのですが,非常にあっけなく手続きは終わりました。そして3日ほど前,手続き完了のはがきが届きました。

 これまで,Niftyには随分お世話になりました。かつては「他と群れるなんて」と無頼を気取っていた私も,PC-9801を使う頃にはNiftyへのアクセスが楽しみで仕方がなく,ディスプレイが大きな世界の覗き窓になっていたことを実感していました。

 海外出張の時には現地に用意された提携ネットワークサービスのアクセスポイントからローミングで接続し,日本の友人達と電子メールでやりとりを続行できました。

 次々と新しいことが出来るようになった時代を過ぎ,今のNiftyは今ひとつ当時の気概を感じません。当たり前と言えばその通りなのですが,結局サービスプロバイダへとしてのNiftyにとって重要なのは,毎月決まった金額を支払ってくれる会員数が重要なんだろうという事でしょう。

 その点で,かつてのパソコン通信サービスにあった各社の差とそれに基づく選択肢というのは,今はもうないということになります。どこを選んでも同じ,もちろん各社差別化を意欲的に行っていますが,その差を欲しがる人が少ない,言うなれば「繋がる」「IPアドレスを貸してもらえる」こと以上に期待している人が少ないというのが実際の所でしょう。

 いくら会員限定動画配信を行っても,それを見たい人がどれだけいるのか,それがその会社の個性になり得るものかを考えてみると,残念ながら弱いというのが私の意見です。

 ということで,ここ数年間Niftyを全く使わなかった私は,解約してからこっち,解約したことも忘れてしまうほどNiftyと無縁の日々を送っていました。私がNiftyの人間だったらと考えてみると,ここ数年私のような人間にとって全く価値も意味も持たずに変化をしないでやってきたことは驚きですし,それでも存続できたという事実が,不思議でなりません。もしかすると,私が知らないだけでNityにはとても個性的でNiftyでしか楽しめないなにかが,あったりしたのかも知れません。

販売店の責任とは

 さて,先日VintageComputerさんから購入した「VCオリジナル 2ポート eSATA ExpressCard」の件ですが,先日送り返しました。SmallPacketによる航空便で送り返しましたが,わずか150円。軽い梱包を心がけた結果です。

 まだ不良だったのかどうかはわかりませんが,いずれにせよ手元に使えないもの(そればかりかカーネルパニックを引き起こす危険なもの)があっても仕方がありませんので,送り返す以外の選択肢はありません。

 VintageComputerさんのレスポンスは速く,私からのメールに翌日返事が届きました。不良の可能性が高いので送り返せ,とのことで,その際の注意は「保証規定」を読むように,とありました。

 その保証規定によると,初期不良は返送料を一時立て替えてくれ,後で「ポイント」で返すから,とあります。

 ポイント?

 まず最初に,なぜ初期不良の返送料が販売店持ちなのかですが,これは購入者に落ち度がないから,です。もちろん販売店としても,メーカーの落ち度で発生した初期不良の責任を取るのはおかしいかも知れませんが,販売店はメーカーや卸業者の,購入者に対する一次窓口の機能も担っています。

 実際,多くの日本のお店は購入者に対し着払いで返送するよう指示を出すわけですが,この時の返送料はお店が負担することもあるし,メーカーに請求する場合もあるので,なんとも言えません。

 この段階で,販売店であるVingtageComputerさんが返送料を負担する必要性が明らかになったところで,それがなぜポイントなんだという疑問です。

 ポイントは,その店でしか使えないものですし,期限があるのが普通ですから,どんなものも買えて,しかも期限がない現金とは全く違うものという考え方が普通です。会計上の判断としても,購入者からの借入金という理屈と,あくまで販促費という理屈で意見が分かれています。

 立て替えたものが返送に必要となった現金であったわけですから,その立て替えたものを返してもらう際には,同じ現金で返してもらうべきでしょう。つまり私は,ポイントを購入したわけではありません。

 また,誤配の場合は振り込みやクレジットカードで返金するとありますから,返金することそものが制度上不可能ということではなさそうです。

 ということで,こちらの落ち度がない初期不良でポイントでの返却はおかしい,立て替えた現金で返してくれ,とお願いし,同時にポイントで返す理由の説明を求めました。

 数時間して返事が来たのですが,全文の掲載は許可を取っていないので抜粋すると,

・今回に限ってクレジットカードで返却する。
・初期不良は最終的にはメーカーの責任で,販売店に直接の落ち度はない。
・米国では初期不良品の返送料も購入者負担が普通。
・しかし日本では馴染みがないので,ポイントで返すことにしている。
・保証規定に明文化しており,納得した上で購入してもらっている。

 とぃうことでした。

 どう思われますか?

 一応クレジットカードで返金されるということですので,おかしな議論をふっかけるのは得策ではありませんが,初期不良については自分達は悪くない,というスタンスを崩していません。実際,謝罪の言葉は全くありませんでしたし。

 私も一時期販売店にいましたので,販売店の理屈も,メーカーの理屈も少しは分かっているつもりですが,単純な商習慣の違いを超えた疑問が消えません。

 まず,初期不良の責任は,彼らの主張通りメーカーに全責任があります。販売店もそのメーカーを信用して仕入れているわけで,それが不良品だったという,品質と信用の問題を出したのですから,メーカーが全面的に悪いことに疑いはありません。最終的に全責任を持つのは,VintageComputerさんの言うとおり,メーカーです。(しかし,それを客に言えば客が納得するという発想が,ちょっと思慮が足りないなあと思いますが)

 ただ,販売店の大切な機能には,購入者の窓口というのがあり,いざというときメーカーの代行を行う事もあります。これは,商習慣として慣例化しているケースもあるでしょうし,契約などで明文化されているケースもあると思います。

 いずれにせよ,メーカーのサポートに電話して「販売店にご相談下さい」と案内されるのは,こういう理由があるからです。

 とはいえ,販売店にもいろいろな業態があり,こうした販売以外の業務を一切行わないお店もあります。あえて行わずコストを削減し安売りの減資とするお店もあるし,正規品を扱っていないのでメーカーと話が出来ないと言うお店もあります。要するにお店の機能はお店自身が定義して運営していくものだ,ということです。

 その点で,VintageComputerさんが「自分達に落ち度はない」というのは,気分的にいささか抵抗がありますが,それでも納得出来ない話ではありません。ゆえに販売店にも購入者に落ち度がないから,双方痛み分けで返送料はポイントで返す,という理屈は一応筋が通っているように見えます。

 さて,今回の商品は「VCオリジナル」と銘打っています。ノーブランドではなく,またApple製でもsonnet製でもありません。VintageComputerさんのオリジナルの商品ですから,いわばプライベートブランドのマヨネーズなんかと同じで,VintageComputerさんは販売店としての責任は百歩譲ってゼロだとしても,製品そのものに対する責任は回避できないのではないかと,思うのです。

 もし,VintageCompterさんがそれでも責任はない,といいだしたら,この商品はもはやノーブランド,もしくはジャンク品でノーサポートの商品になります。そういう前提ならやむを得ませんが,この商品は違います。

 OEMを受ける側は,商品を他の会社に作ってもらっていますが,製品の品質に対しては一定の責任を持っています。実際に作っているOEM元の会社に一番責任があるのは事実ですが,それはあくまでOEMを受ける側に対しての責任です。

 今回の商品が本当に不良だったとして,その責任は製造メーカーにあるのは確かですが,それはVintageComputerさんとの話し合いの中だけの話で,購入者に見えないところにあるから,「VCオリジナル」なわけです。

 この段階で,私の主張は,少なくとも商品に対する責任をVintageComputerさんが持っているという結論に達します。よって双方痛み分け,という理屈は成り立ちません。


 次に,米国で返品にかかる費用の負担が購入者にあるかどうかですが,これは事実のようです。その代わり米国はもっと広範囲の消費者保護の制度が整っています。私は米国の消費者行政の専門家ではありませんからこれ以上の言及はしませんが,VintageCompuerさんの主張に,自分達に都合のいい所だけ「米国流」を適用しているのではないか,と思う人もいるかも知れません。


 最後に,どちらも悪くないからポイントで返す,と言う理屈ですが,先程から述べているように,この商品に限って言えば,販売の責任をゼロとしても,製品に対する責任は回避できません。よって双方痛み分けにはなりません。

 さらに,双方痛み分けがどうして「ポイント」なのか,だれがポイントをもらって痛み分けと納得したのか,が冷静に考えると不明です。良く買い物をする人は結構でしょうが,滅多に使わない人にとっては価値が薄く,期限が切れてしまって失効してしまえば,全く価値はゼロです。お店にとって,ポイントは借金ではなく販促費用として会計上扱われているケースが大半であることが,ポイントという「独自貨幣」の性質を如実に語っています。


 保証規定に納得してもらった上で,という話については,残念ながら最近はあまり効力を持ちません。基本的に双方の話し合いで決着した内容が優先されるのは今も昔も変わりませんし,司法上の判断でその保証規定に問題があれば,保証規定への応諾が無効になるケースは珍しくありません。ここらへんを杓子定規に考えるのは中学生までだと個人的には考えています。水掛け論をするのは不毛です。


 ということで,いろいろ迷ったあげくに,こんな感じで返事をしました。

>  私もかつてはMacや中古パソコンの販売店におりましたし,
> 今はメーカー勤めをしておりますので,頂いたご説明は確かに
> 販売店の本音として理解できます。
>
>  しかし,やはり販売店には何かあったときのメーカーの
> 代役として購入者の窓口を担うことも期待されていますし
> (そして実際に御社はきちんとその機能を果たされています),
> おっしゃるとおり最終的な責任はメーカーにあり,いわば販売店も
> 被害者であることは間違いなくとも,それはやはり販売店とメー
> カーとの間で決着すべきお話で,優先されるべきは購入者に全く
> 責任がないという事実であると思います。
>
>  加えて,こと今回の件については,商品が「VCオリジナル」と
> 銘打ってあることから,御社は単純な販売店としての責任に加え,
> 製品そのものについても責任があるというのが私の考えです。
>
>  御社のように,厳密にメーカー,販売店,購入者それぞれの
> 責任と負担をはっきりさせて対応を区別してらっしゃるなら,
> 今回の商品についても同様にそれぞれの責任の所在と負担費用を,
> 他のAppleやSonnetの製品とは区別しておくべきではな
> いでしょうか。


 これを「意見として」と前置きして返事としました。
 
 このメールに対して,返金についての簡単な案内と,意見として参考にする,という簡単な返事が届きました。

 わずか150円ですが金額の問題ではなく,私は彼らの販売店としての責任,あるいは今回の商品そのものに対する責任についてどう考えているのかをただしたかったのです。

 残念ながら,販売店には最終責任はない,という考えを結局最後まで曲げることはされませんでしたし,ここ数回のやりとりでただの一度も謝罪や感謝といった意味の言葉が使われることはなかったところに,自分達は悪くないという考えが徹底していることを強く感じました。顧客からの意見に対する感謝がないところにも,そもそも意見など求めてなどいないという気持ちがあるのでしょう。
 
 10年もややこしい商品の販売で生き残ってきたお店ですから,このくらいのことでいちいち頭を下げていたり,感謝をしたりしていたらやっていけないのでしょうね。面白い商品を扱っているお店ですから残念ですが,私の印象としてはそれを武器に結構彼らが有利になるような形で商売が出来ているケースだと思います。お客から見ると,ハイリスク・ハイリターンということになるでしょうか。

 今回の返送料は,小さなものだったから150円で済みましたが,これが大きいものだと何千円にもなるケースもあります。VintageComputerさんの売価が国内の店より2000円安いと言う理由で購入を決めても,その商品がたまたま運悪く初期不良だったりしたら,他の店で買った方が安かったと言う可能性が十分にあるということです。

 金銭面もそうですし,こういうやりとり一つとっても,不良品が出たら,なかなか気持ちよく終わらせてくれるお店ではないので,そのあたりも加味して,本当に特かどうかをよく考えてから,利用されることをおすすめしておきます。

土曜日に顔をあわせるおばちゃんとお別れ

 私はamazonをよく使います。一瞬ヘビーユーザーと書こうと思いましたが,ちょっとググると「朝起きてamazonからの荷物を受け取るのが日課」という強者もいらっしゃり,そういう方こそヘビーユーザーを名乗るにふさわしいと考えたので,ここは「よく使う」くらいにとどめておきます。

 私の地域では,CDやDVDは佐川のメール便,それ以外はペリカン便で届いていました。メール便には紛失や届くのに時間がかかりすぎるという問題が未だに起こり,届くまで気の休まるときがないのですが,ペリカン便はここ数年,トラブルなしなのです。

 どうもペリカン便はあまり評判がよろしくないようですが,こと私について言えば,これほどありがたい配送もありません。

 ペリカン便は,日中の私の地域の担当の方が,いつもニコニコしている元気なおばちゃんなのです。特別親しいわけでもありませんが,さりとて挨拶だけで終わるわけでもありません。互いに何となく知っている間柄のような感じがルあるからでしょうが,彼女の名前が書かれた不在票が挟まっていると(彼女は不在票をポストに入れず,ドアの隙間に挟んでくれます。間違いを防ぐ工夫でしょう),これでもはや届いたも同然という絶対なる安心感と,同時にいつも不在で悪いなあという罪悪感とが,なにやら妙な親近感を感じさせます。

 いつも土曜日の午後一に再配達をお願いするので,その週のamazonからの荷物を土曜日にまとめて受け取り,私の休日はスタートするわけですが,おばちゃんももう数年同じパターンで土曜日を過ごしている事になり,こちらがお願いをしなくても,気を利かせて土曜日には「いるかと思って」と荷物を届けてくれたりするのです。

 平日は不在であることがわかりきっていますから,もう平日はこなくていいですよ,といったこともあるのですが,「それは規則上無理なんですよ,一度はこないといけないことになってますんで」と配送にかかわる人間としては当たり前の,しかし立派な意見を,実際にここ数年きちんと実践されていました。

 もう1つ,このおばちゃんはタバコを吸われないようです。特に佐川の荷物はたばこ臭くて,すぐに箱を捨てるのですが,ペリカン便がたばこ臭かったことは一度もありません。これね,私のようなタバコの煙で息苦しくなる体質の人にとっては,実に実にうれしいことなんです。

 よく「ヤマトはいい」とか「佐川はどうも」とかいう意見がありますが,はっきりいって宅配業者なんてのは,最終的に人と人の実にアナログな部分での仕事ですから,その担当者がいい人なら安心できる業者だと思うだろうし,気に入らない人だと思ってしまえば,業者まるごと気に入らない,と言うことになってしまうものです。

 私の場合は,そのおばちゃんのおかげでペリカン便の評価は高かったのですが,ご存じの通りペリカン便は「JPエクスプレス」という新会社に移管されることが昨年決まり,昨日4月1日から新会社によるペリカン便がスタートしました。

 日本郵便のゆうパックがJPエクスプレスに合流するのは今年の秋になり,それまではペリカン便の名前で単独によるサービスが存続します。心配になっていたのは,amazonの荷物が同じようにペリカン便で届くのかどうかでした。

 しかし,私の願いもむなしく,先日注文した商品の発送連絡には,ペリカン便の文字はありませんでした。佐川飛脚便とあります。耳慣れませんが,要するに普通の佐川急便で届くようです。

 実は,発送が遅れていた商品がようやく発送され,昨日の20時から21時で再発タイツをお願いして受け取った所なのです。ということは,もうペリカン便で届く荷物はもうすべて完了してしまい,今後あのおばちゃんが荷物を届けてくれることはなくなってしまいました。

 分かっていたら土曜日まで待って,昼過ぎの再配達の時にこれまでのお礼を言いたかったのに,残念です。

 まあ,他の業者がペリカン便を使ってくれればあのおばちゃんが届けてくれるかも知れませんし,最悪自分が集荷を頼めばおばちゃんが来てくれるかも知れません。しかし,新会社設立と業務の移管,そして数ヶ月後のゆうパックとの統合で,あのおばちゃんがいつまで私の地域を担当してくれるのか,全く分かりません。

 佐川も以前よりは随分良くなったと思いますが,それでも担当者が半年ごとに入れ替わる感じでその度に傾向が変わる(たばこ臭いとか早めに来るとか遅めに来るとか)し,誤配の可能性も増えてしまうので,正直に言うと手元に届くまでは落ち着きません。

 ということで,ともかく数日おきにややこしい道を通って我が家まで来てくれて,そして毎週土曜日にいつも荷物を再配達してくれて,この5年ほど,ありがとうございました。またお会いできる時を楽しみにしています。

有機ELと無機ELを混同する雑誌

 CQ出版社の雑誌や書籍には,学生の頃は趣味で,現在は趣味に加えて仕事でも随分とお世話になっています。電気電子関連の技術書でも,出版社によって難易度や傾向の違いがあって,同じテーマの本が複数あった場合に,自分の欲しい情報が載っているものを出版社から選べるようになると,本選びも幅が広がります。

 ただ,先日とても残念な事がありました。詳細はもう少し後で書こうと思っているのですが,ちっとも訂正されないのでここに書いておきます。

 CQ出版社は,電子工作の雑誌として「エレキジャック」を刊行しています。年に4回ですでにNo.11といいますから,3年近くになるのですね。

 私は,その主旨に共感してNo.1からずっと購読しています。内容の良し悪しはここでは議論しませんが,それ以前の問題として,手の付けようがない誤りが必ずどこかにあることが大変気になっています。

 ちょっとした誤記は構いません。ありがちなことですからきちんと訂正をすればよいでしょう。しかし,少しばかりの調査や勉強を怠ったと思われる明らかな間違い,著者の思い込みに誰も気が付かずそのまま表に出てしまう甘さ,といったこの手の雑誌としてはもはや致命的な問題が,初期の頃から現在に至るまで改善されずにいます。

 いや,重箱の隅を突くような細かい間違いをあげつらっているわけではありません。そんなことをすれば書ききれないほど出てきます。そうではなく,根本的な理解をしていない,原理的に間違っている,といった,書き間違いや表記のミスという表面的なミスではない深い所の話だけに,これを読んだ人は誤った知識で以後過ごすことになるだろうことに,憂慮しているのです。

 以前にも書いたかも知れませんが,No.1の記事にあった,ガリレオがピサの斜塔からものを落として落下の速度は重さに関係がない事を証明した,なんて話は,後の世の作り話であることはもはや常識です。こんなことを未だに平気で書いている人がいるのか,そしてこれをチェックする人が誰もいないのかと,あきれてしまったことを思い出します。

 最新号であるNo.11のミスについては,もはや打ち上げ花火級です。

 CQ出版社の書籍案内サイトの,エレキジャックNo.11を見てみますと,その紹介の冒頭,

「光る電子部品で有名な「LED」や次世代照明と呼ばれている「有機EL」を使ったユニークな作品を15種類作ります.」

 とあります。しかし,実際に工作で使われているのは,有機ELではなく,無機ELです。

 秋月電子で売られているELシートを使ったありがちな工作なのですが,有機ELを使ったことになっています。しかし秋月電子で売られているELは無機ELです。(秋月電子もそういっているそうです)

 難しい話はちょっと割愛しますが,有機と無機の違いは,材料が無機なのか有機なのかという違い以上に,発光原理から根本的に異なっていて,その歴史も全然別物です。

 原理的な違いから,無機ELは交流駆動,有機ELは直流駆動をします。工作ではわざわざ交流で駆動するインバータを用いているにもかかわらず,有機ELを使っていると書いてあるわけです。

 私の想像ですが,この作者の方は,無機ELというものがあることを,そもそも知らないんではないかと思います。百歩譲って知っていても,材料が有機か無機か,程度の違いであとは同じなんだろうと,そんな風に思い込んでいたのではないでしょうか。そうでないなら,公に記事を書く段階でその違いを意識して調査をしなかったという無頓着さに,知らなかった事以上の罪深さがあるように感じます。(余談ですがこの方は高校の先生なんだそうです)

 この有機ELと無機ELの2つを混同しているという初歩的な知識不足と,事前にちょっと調べてみるという慎重さを欠いた姿勢に,私は開いた口がふさがりませんでした。

 ご丁寧に,工作以外にも有機ELの解説記事まで載せていますが,工作が無機ELで行われている以上,解説記事との関連は結果的に非常に薄くなります。もし仮に関連記事としてトピックスとして有機ELを紹介する記事なら,工作の記事内に解説を参照させる記述を避けるなど,それなりの書き方や扱いがあるべきです。

 解説記事には,1935年の古い日本の小説の「蛍の光を人工的に作るなど夢のような話」という部分をとりあげ,現在蛍の光が照明に使われるようになってきていることなど想像も出来なかっただろうと書いて,技術の進歩を讃える部分があるのですが,有機ELは1980年代後半の開発でも,無機ELは1936年にフランスで発光が確認されていますから,小説当時としても夢物語というのは無理があるでしょう。

 この解説では,有機ELは蛍の光と同じ原理だと論じて話を進めています。広く「ルミネッセンス」というくくりに視点を置けば確かに誤りではありませんが,そういう話になると,無機ELもLEDも,ルミネッセンスで発光するものはすべて蛍の光と同じ原理です。

 有機ELを「夢の光」と言いたいなら,蛍を引き合いに出すのは無理があり,「蛍の光を照明に」と言いたいなら,話は無機ELまで遡る必要があります。

 こうやって,非常に都合の良い解釈で有機ELの先進性を語り,そこから今回の工作の先進性まで高めていこうという流れには,恣意的と言うよりむしろ,悪意さえ感じるのです。

 有機ELは名前ばかりが先行し,その実体が一般によく理解されていないデバイスです。無機ELは戦前からの歴史がある割には使い勝手が悪く,我々がその存在を意識するシーンは非常に少ないのが現状です。よって,間違った知識が広まっていますし,その根源は間違った解説や浅い説明によるところが大きいと考えています。

 それを正していくのが,技術系出版社が出す雑誌の役割です。初学者が手にするエレキジャックのような雑誌であればなおさらの事で,難しい事実を簡単にかつ正確に説明するという,最も難しい役割を担う覚悟も不可欠でしょう。

 こうした間違った内容を利用し「次世代照明として注目の有機ELで工作」とNo.11の売り文句の1つにしています。これを目当てに買った人もいるでしょうが,実際は無機ELなわけです。仮に悪意はなくとも,誇大広告,不当表示にあたるんじゃないでしょうか。

 さらに深刻なのは,工作の作者先生がこうした無理解と不勉強による根本的な思い違い(作者のホームページにはなんと有機ELの特設ページが無機ELを使った工作で作られています)を,結果的にプロの編集者が誰一人として指摘できなかったことでしょう。これを宣伝文句に表紙に広告にと,あらゆるところで大々的に謳っているなど,見ている私まで恥ずかしくて赤面してしまいます。

 実は,この点,私は技術者としての社会的責任という技術者倫理の観点から看過できず,発売後数日で編集部宛に指摘のメールを送っています。

 すぐに反応があり,事実確認がなされて,これは有機ELではなく無機ELと判明しました。その後何度かのやりとりがありましたが,訂正がWEBのサポートページに掲載されただけで,他への対応はどうも行われていないようです。なにも,回収しろとか正誤表を挟めとか告知を出せとか言いませんが,せめて訂正の簡単なWEB上の出版案内などは誤りであることがはっきりした時点で,すぐに訂正をして欲しいものです。

 こういう所に,編集部,ひいては雑誌社の責任感や使命感が見え隠れするのですが,CQ出版社についてはトランジスタ技術やインターフェースなどの雑誌は秀逸ですし,オペアンプ大全などの素晴らしい書籍をコツコツと作っている出版社だけに,こんなことで評価を落とされてしまうことは,ファンとしてとても残念な事です。私見ですが,同じCQ出版社であっても,それぞれ雑誌によって作り手の「丁寧さ」に大きな差がある,というのが,印象だったりします。

 ところで昨日,オライリーからmake:日本語版の最新号が発売になり,早速買ってみましたが,こちらは毎号毎号面白さが加速していますし,作りの丁寧さには毎度毎度唸らされます。比較をするのは筋違いかも知れませんが,同じような工作をテーマにした雑誌の中では,他の追随を全く許さない,独走態勢の雑誌と言って良いでしょう。年4回の刊行になるそうで,この手間暇をかけた作りで年4回はきついと思いますが,ぜひ頑張って欲しいものです。


 団塊世代がお金と暇を持て余すようになって真空管アンプや真空管ラジオがちょっとしたブームになり,また専門知識がなくてもそこそこ使いこなせるフィジカルコンピューティングやプロトタイピングを指向したArduinoなどのおかげで,ちょっとした電子工作ブームが来ています。

 そのことそのものはうれしいですし,大変結構な事ではありますが,物足りないのはこれを支援する情報源が質,量共に今ひとつで,特に雑誌系はその内容がもはや壊滅的というのが現状だと思います。もっとも,少し前の状況から考えると,電子工作の雑誌が本屋で買えること自体が驚きなのですが,どうせ出すならもっとしっかりしたものを望みたいものです。その点で,日本には「子供の科学」という,お手本にすべき優れた雑誌が存在します。

 私としては,過去に電子工作の雑誌に育てられてことに感謝しているので,なにかこの手の雑誌のお役に立てればと常々思っているのですが,なかなかきっかけがないのが現実だったりします。

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